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VIVA LA VIDA バルセロナ復活の兆し

はじめに

 「Coldplay」の人気曲「VIVA LA VIDA」。スペイン語であるこの曲名は英語では「long live life」「live the life」または「live life」等である。日本語訳としてよく見かけるのは「人生万歳」「美しき生命」等である。

 パワフルで、前向きな曲を思わせる曲名だが、その歌詞は前向きやパワフルとはかけ離れている。詳しくは聞いていただきたいが、端的に表すと「絶対的な権力を持っていた王様の失墜」の歌である。

 

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曲の始まり

 

I used to rule the world

Seas would rise when I gave the word

Now in the morning, I sleep alone

Sweep the streets I used to own

かつて、私は世界を支配していた

私の言葉で、海でさえせりあがった

今は朝一人で眠り

自分のものだった道を掃いている

 

 圧倒的な力を持ちつつも、それを失うことを語るこの曲はしばしば、FCバルセロナのプレーと共にインターネット上に姿を現した。ペップ・グアルディオラの下で花開いたバルセロナの黄金時代は「Tiki Taka」という言葉に代表されるプレースタイルと共に圧倒的な成功と力を示した。(「Tiki Taka」は短いパスを軽快に繋ぐスタイルを表している。諸説あるが、スペイン語で時計の秒針が小刻みに動き音を表している。日本語での「チク、タク」。)

 何事にも終わりがあるように、バルセロナの黄金時代は終わりを迎える。世界最強であるだけでなく、見るものの目を惹きつける美しさを兼ね備えていたバルセロナの没落はまさに「VIVA LA VIDA」と重なっていた。

 

  I used to roll the dice

  Feel the fear in my enemy’s eyes

 かつては私が賽を振る側で

 敵の目に映る恐怖を感じていた

 

黄金時代

 2008/2009シーズンにBチームからバルセロナのトップチームに就任したグアルディオラ。この時、他に候補に挙がっていたのが、既にポルトでヨーロッパの頂点に立った経験を持っていたジョゼ・モウリーニョだった。結局、グアルディオラが監督に選ばれ、ジョゼ・モウリーニョが数年後、レアル・マドリーの監督に就任することで対面することになる。

 世界最高の選手と名高い「リオネル・メッシ」を擁し、才能ある生え抜きの選手を中心のチームで世界を席巻したバルセロナ。特に中盤を構成した3人。アンドレアス・イニエスタ、シャビ・エルナンデスセルヒオ・ブスケッツ。そして、中盤まで下がってくる所謂「偽9番」を有名にしたメッシの4人で構成された中盤を中心とするボール保持からのチャンスメイクはどのチームに対しても致命的だった。2010/2011シーズン、チャンピオンズリーグ決勝、3-1でバルセロナに敗北したマンチェスター・ユナイテッドの名将「サー・アレックス・ファーガソン」は「シャビとイニエスタの2人なら一晩中でもボールをキープできる」と話した。

 バルセロナはボールを圧倒的に保持しながらの攻撃だけでなく、守備も洗礼されたものだった。言うまでもなく、サッカーではボールを一つしか使用しない。バルセロナはボールを保持するために必要な圧倒的な能力と戦術を持っていた。しかし、ボールを失い、相手も同じようにボールを保持すると常にボールを持つことで発揮していた試合をコントロールする力を失うことになる。しかし、実際には、誰を相手にしてもバルセロナが常にボールを持ち試合の主権を握り続けた。現在、マンチェスターシティでグアルディオラと共に指導する「ファンマ・リージョ」はバルセロナの守備について以下のように語っている。

多くの人がバルセロナのボール奪取能力を称賛するが、あれはプレスによって生まれているのではない。プレスは二次的なものだ。その前に散々従属させられたせいで、ボールを奪った時は全員がポジションを失っている。ほとんどの選手が自陣で守備をさせられ、長い時間自分たちのゴールを見ながらプレーさせられて、味方を探すのにボールタッチを2度しなくてはならず、しかも相手ゴールははるか彼方だ。こんな状態でどうやってカウンターに出る?

たとえるとこういうことだよ。君の家を大幅に模様替えして、両目を覆った状態で帰宅させられたとする。サロンがトイレで、台所とプールの位置が逆……あちこち体をぶつけている時にボールを持たされても、整理整頓する時間はない。しかも一団となって攻め込んでいるバルセロナの選手たちにとっては、奪われたボールがすぐ近くにある状態だ。

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 時代を作ったバルセロナは少しずつ形を変えながらも、その栄光を失うことはなかった。

 まず、グアルディオラがいなくなり、2シーズンで2人の監督を経て、ルイス・エンリケが就任した。シャビが年齢を重ねていくうちに、イヴァン・ラキティッチが新たな中盤のキーピースとしてやってきた。ルイス・スアレスネイマールなどワールドクラスの攻撃の選手が加入し、バルセロナの栄光は続いた。前線の3人メッシ、スアレスネイマールの頭文字を取った「MSN」は新たなバルセロナの代名詞となった。南米出身の3人による攻撃は圧倒的で、3年間の間に364得点、バルセロナは8個のタイトルを獲得した。

 2017年にルイス・エンリケの後任として、エルネスト・バルベルデが就任する。2020年までの間に、リーグタイトル2回、国王杯、スペインスーパー杯の計4タイトルを獲得した。バルセロナの栄光はバルベルデの時代を最後に色褪せ始める。

17/18シーズン、ネイマールがクラブを去った。代わりにリバプールからコウチーニョドルトムントからデンベレを獲得した。19/20シーズン、アトレティコからグリーズマンアヤックスからフレンキー・デ・ヨングを獲得。

没落

 2020から2021年はキケ・セティエン、後にロナルド・クーマンが監督に就任する。

 20/21シーズン、スアレスラキティッチがチームを去った。ユベントスからピャニッチが加入する。

 翌21/22シーズン、メッシがバルセロナを去る。

 この時期、特にロナルド・クーマン監督期間はバルセロナにとって厳しいものになった。世界最強だったバルセロナの姿は見る影もなく、まさしく過去の栄光になってしまった。「Tiki Taka」のスタイルも失われたように見え、身長の高い選手を前線に挙げ、そこにクロスを上げ続けるパワープレーを主体とする試合さえあった。

 この時期の監督の采配がバルセロナの没落の一因であることは間違いないが、ピッチ上だけでなく、クラブ全体が少しずつ積み上げてきた失策が遂に表面化した時だった。

 シャビがチーム去っても、イヴァン・ラキティッチがその穴を埋めた。しかし、その後、ネイマールスアレス等中心選手が去っていく中で代わりに加入した選手たちは十分な活躍をしたとは言えなかった。1億ユーロ以上の金額をそれぞれ費やし加入した、コウチーニョデンベレはそれぞれ見せていたトップレベルの実力をバルセロナに来たことで失ったように見えた。アトレティコに戻った、グリーズマンもその一人だろう。バルセロナの未来を担うはずだったブラジルの若手アルトゥールとピャニッチのトレード移籍も大きな失敗の一つだった。

 当たらない選手補強に多額の金額を費やしただけでなく、下部組織からの人材流失、選手の給料のバランス調整のミスなど様々なミスが重なり続け多額の負債を抱え込んだ。元凶と言われている当時のバルトメウ会長はバルセロナ史上最低の会長として、名を残した。

 

復活へ

 ピッチ内外共にひどい時代を過ごしたバルセロナは少しずつ復活へと歩み始める。その第一歩が黄金時代を支えたシャビを監督として招聘することだった。黄金時代の中心選手であり、バルサスタイルの体現者だったシャビの監督への就任は多くの意味でバルサファンに期待を持たせた。求められたのは、失われたバルサスタイルへの回帰であり、新たな時代の始まりだった。クラブのピンチを伝説的なクラブOBが救うというストーリーがセンセーショナルなだけに期待は余計に高かった。

 結論から言えば、シャビは一定の功績を残したと言えるだろう。就任一年目は最終的に2位で終了。就任時に9位だったことを考えると、十分な1年目だった。

 翌年、苦しい台所事情ながらも放映権の数%の売却など、資産を切り売りすることで大型補強を敢行。ロベルト・レバンドフスキ、ハフィーニャ、クンデなどを補強する。長く成功から遠ざかっていたチャンピオンズリーグでは、相変わらず成功を収めることができなかったが、リーガでは4試合を残して優勝を決めた。

 翌23-24シーズンでは、チャンピオンズリーグではベスト8でパリ・サンジェルマンに敗北。リーガでも、調子が上がらない。そのような状況の中で、シャビは2024年1月に今シーズンで辞任の意向を示す。辞任の覚悟を決めたシャビに同調したのか、そこからのバルセロナは調子を取り戻す。その結果、4月には辞任が撤回され、翌シーズンも残留することが発表される。だが、残留が発表された僅か1か月後、5月のアルメリア戦後クラブの財政状況に対するコメントが、自身への批判だと受け止めたラポルタ会長の怒りを買い、再びシャビの退任が発表された。リーガでもレアル・マドリードに優勝を明け渡してしまった。

 シャビは解任に至った後、「新監督に告ぐ。君は苦しむことになるだろう。ここはとても複雑な場所だ。これは難しい仕事だし、忍耐強くなければならない」と語った。クラブの財政状況から、思うような補強がされず、それでも2年目では優勝を果たした。それでも、満足いく評価がされなかったという彼のコメントには、バルセロナというクラブの難しさを表していた。

 多くの強豪クラブが求められる、「ただの勝利」ではなく、「美しい勝利」。歴史上類を見ないほどの美しく強いサッカーを展開してしまっただけに、バルセロナはその要求がひときわ高いのだろう。

 

ハンジ・フリック就任

 シャビの後任として、バルセロナの監督に就任したのが、ハンジ・フリックだ。バイエルンを率いていた際は、19/20シーズンヨーロッパの頂点に立った。その途中、バルセロナを2-8で粉砕し、バルセロナに時代の終わりを感じさせた張本人だった。

 バイエルンで成功を収めた後、フリックはドイツ代表監督に就任。W杯への予選は首位で通過したが、本戦では日本に敗れ、グループステージでまさかの敗退を喫した。威信をかけて行われた、ドイツで行われた日本との親善試合でまたもや1-4で敗北。すぐそのあと、解任された。

 そんな状況だっただけに、ハンジ・フリックにとってバルセロナでの監督職は重要な意味を持っていた。

 

バルセロナ

 フリック下でのバルセロナは上手くいっている。リーグ戦ここまで、4戦4勝。第4節バジャドリード戦では7-0と完勝して見せた。4勝という結果だけでなく、他にもポジティブな要素がある。新加入のダニ・オルモがはやくもフィットし活躍を見せ、けが人が多いにも関わらず、そのポジションを埋めるだけの選手が下部組織から次々と出てきている。ラ・マシア(バルセロナの下部組織)から、才能ある若手が次々と出てくるのはまさしくバルセロナらしい。既に、スペイン代表で存在感を見せているラミン・ヤマルをはじめ、センターバックのパウ・クバルシ、アンカーのマルク・ベルナルなどはここまで、10代とは思えない活躍を見せた。

 マルク・ベルナルに関しては、3節ラージョ・バジェカーノ戦、終了間際に左膝前十字靭帯断裂の重傷を負い今シーズンはプレーできそうにないのが、非常に残念である。ただ、それでも、同じく下部組織上がりのマルク・カサドがアンカーとしてプレーするなどラ・マシアの功績がトップチームを支えている。

 ガビやアラウホに関してはまだ、時間がかかりそうだが、アンス・ファティなどは早ければ国際マッチウィークの後には復帰できるという報道もある。全快のバルセロナがどう戦うかが今からも楽しみである。そんな日が、怪我が当たり前な現代サッカーの中で来るかどうかは分からないが。

 さて、フリックバルセロナはどのように戦うのか簡単に見ていこう。端的に表せば、中央に選手を集める攻撃するのがフリックのバルセロナだ。

4節バジャドリード戦のスタメンを例にすると、 

 左ウィングのハフィーニャは内側に入り、左サイドバックのバルデが大外に上がってくる。この試合ではダニ・オルモが務めたが右インサイドハーは、サイドに張るヤマルとレバンドフスキの間あたりに上がってくる。左のペドリはビルドアップ時にはカサドのサポートを行いつつも、スルスルと上がり前にも顔を出す。攻撃は中央を狙って行われる。中央に集まるオルモ、レバンドフスキ、ハフィーニャ、上がって来たペドリなどが短い距離でパスをつなぎ崩そうとするのがよく見られる。

 この戦い方の中で、今最も輝きを放っているのが、ハフィーニャだ。ヤマルという超新生が出てきたことで、右ウィングとして立場を追われ、今夏も売却も候補に数えられることも多かったハフィーニャ。ウィングではなく、中央でより近いところに位置するようになってから、その持ち味を発揮している。例えば、中央でボールを受けるレバンドフスキの背後の飛び出しから、得点チャンスを作り出している。さらに、元々良さだったパンチのあるミドルシュートも、サイドから一人二人はがしてから打つよりも、既に中央に位置している方がいきやすい。それに、今は一人二人はがしてから打つプロフェッショナルがいるのだから、それは彼に任せればいいわけである。

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最後に

「VIVA LA VIDA」のYouTubeにあがっているライブ版のコメント欄には、「難しい人生を送って来たが、前向きに生きる気力が湧いてきた」のようなコメントがみられた。前述したように、この曲ではそのようなことを歌っていない。励ます言葉などないし、曲中では王として栄華を極めた時でさえ、良いことばかりではなかった。

 この曲に、人を前向きにする力があるとしたら、それは人生とはそんなものであるというある種の諦めに近い感情からだろう。栄枯盛衰が世の理であることを知り、自らが賽を振る側であることを楽しんだ過去を思い出しながら、自らも自分よりも大きな何かが振る賽によって生きていたことを考えているようにも思える。それでも、人生は続く。そういった意味で「VIVA LA VIDA」は「Live the life」「人生万歳」という約があっているように思う。

 バルセロナは間違いなく、失っていた強さを取り戻しつつある。だが、それはあの時代の再来ではないし、これからどうなるかなど誰のも分からない。いずれにせよ、誰にとってもできることは一つしかない。